教育英語の用語の使い方、なんとかしてよ。

教育英語(受験英語という響きが今ひとつ好きになれないので)に関わっていると、ふと何というか虚しいというか、寂しい気持ちになる時がある。

それは、皮肉な言い方だけど、由緒正しい、歴史ある教育英語の間違った伝統に出会う時だ。

とくに教育英語の文法用語の無神経な言葉に触れると、なんでかそうなるかな?と首をかしげたくもなる。

たとえば、『長期の継続:ず〜とAしている』を表す時によく使う次のような言い回し。

My dad has been drinking all day long.

教育英語では、この下線のところを、”現在完了進行形”と読んでいるけど、これって、よくも白面で、お酒も飲まずに言えるものだと思う。私も若い頃は、この言い回しをしていたから、偉そうなこと言える立場じゃないけど、よくよく考えると、この”完了進行”は、全く理屈が通らない。

だってそうでしょう。"完了が、進行する”、つまり”終わることが、続く”そんな馬鹿なこと、あるはずがない。終わりが続いたら、それは、もう終わりではないのだから。

これじゃまるで、子供ころ聞いた”なぞなぞ”といい勝負だ。

”クジラより大きくて、アリより小さい動物な〜んだ?”

みたいな。答えは”イルカ”。クジラより大きくて、アリより小さい動物、そんなものイルカ!!

なぞなそなら、いいけど、教育でされては、これは、ちょっときつい。完了が続くなんてこと、普通はないでしょ。

同じようなのが、他にもある。

My dad has already left the office.

My dad has been there a couple of times.

上の例文の下線部は、俗に言う”現在完了形”で、それぞれ、”完了”用法と、”経験”用法と呼ばれている。”完了”形が、”完了”なり、”経験”を表すのは、直感に何も逆らわないけど、でも

My dad has been sick.

この下線部の”現在完了形”を”継続”用法の呼ぶのも、すごい神経と思う。”完了”形が、”継続”だなんて。継続を表しているなら、それはもう完了形じゃないでしょうに。

こんな感じの無神経というか、雑な英文法の用語は、他にもあるわけで。

例えば、高校とかで春先に習う5文型で使う”V、S、O、C”

あれは、子供ころだったか、授業中に先生が言うには、

”Vは動詞の頭文字で、Sは主語の、Oは目的語の、Cは補語の頭文字”

あの頃は、なんの疑問もなく聞いていたけど、今になって考えると、これは、これで無茶苦茶な言い回しだ。だってそうでしょ。

 主語(Shugo)の頭文字は、Sかもしれないけど、

 目的語(Mokutekigo)の頭文字は、Mで、

 補語(hogo)の頭文字は、Hで

 動詞の頭文字(Doushi)は、D。

そんなの屁理屈だって言われそうだけど、それと同じことをやっている大きな大きな組織が日本にはある。それはNHK。NHKは何の頭文字か、ご存知だろうか?

日本放送協会、Nippon Housou Kyoukai

これは、冗談のような本当の話。

こんな冗談みたいな話ばかりしていると誤解されそうだから、少々真面目な話にもどると、上の頭文字で、特に面白いのが、C(補語)だ。

Cは、Complement の頭文字であり、このComplementという語の由来というか語源が分かると、教育英語の無神経な言葉の使い方だけじゃなくて、英語そのものが、もっと良く見えてくるにはず。

Complement は、『完璧・完成』をあらわす complete から出来ている。

つまり、

Complementが欠けてしまうと、文が不完璧になって使い物にならない。

ということになる。たとえば、次の文で、下線を引いた場所が、それぞれ、Complement、つまり教育英語で言うCになる。

My dad is a really fnny guy.

My dad became vice president of the company.

Someboday has made my dad sick.

上のそれぞれから、下線部を取り去ってみると、どれもこれも使えない文、つまり『不完璧』な文になる。

?? My dad is.

?? My dad became.

?? Someboday has made my dad.

言い換えると、下線部があると『完璧・Complete』になる。だから、下線部は、Complement となる。

(もちろん、この説明は、教育英語の全体像を考えると少々矛盾することがあるのも事実。例えば、この論法で行くと目的語も、主語も、Complementになるが、そのあたりのことは、また後日ブログにできればと言うことで。)

こんな感じで、Complement は、これがあるから、文が、Complete、つまり『完璧』になるという意味合いから来ているはずなのに、ところが、由緒正しい教育英語は、このComplement を”補語”と訳してしまった。

"補”語と聞いたら、普通、学習者は、どんな言葉を連想するだろうか?

"補"欠、"補"助、"補"足、"補"充、"補"習

どれもこれも、complete の"完"璧、"完"全とは、程遠い印象を与えるものばかり。特に"補"習。子供自体を思い出しみると、補習なんて、だれも受けたくなかったでしょう。補習が無いと嬉しかったのを、今でも覚えているくらいに補習は、いらない存在。

”補”は、基本的に、できれば、無い方がいいもの。

これと”完璧”は、全く別物。ちなみに、明治時代かなにかに、この Complement を訳した教育英語の先達の名誉のために付け加えておきたいことがある。その先達は

それがあることで、不足を補い『完璧』にするという意味の『補完する』から、『補語』という訳を創りだしたに違いない。

ただ残念なことに、今の私たち英語の学習者にとって、この『補完』よりも、補習とか補欠の方が、身近な存在だったのが、不幸ということになるのだろう。

こんなような、不幸というか、残念な教育英語の用語に出会うたびに思うことがある。

英語という言葉を扱う職業人が、こんな雑に用語を使うのはかなり問題ありでしょ。

こんな言葉の使い方、誰か、なんとかしれくれないか。

だったら、お前がなんとかしろよ、という声が聞こえてくるのが恐ろしい。


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